【意味論】成分分析の限界

前回みた成分分析を使うと、似ている言葉の意味の違いがわからないときに
意味の違いを明確に把握することができました。

[sitecard subtitle=前回の記事はこちらから url=https://tak-japan.com/seibunbunseki/ target=]

非常に便利なので、じゃあこれから成分分析に頼ればいいと考えたいところですが、
実は100%全面的な信頼をおくのもよくないです。

なぜなら、問題点があるからです。

さて今回は、成分分析の問題点について見ていこうと思います。

もくじ

成分分析の問題点

さきほどの書いたように成分分析は非常に便利なのですが、問題もあります。

今回はその問題点を3つ見ていきたいと思います。

問題点①:境界が曖昧

「男」「おじさん」「おじいさん」の違いを成分分析で見てみましょう。

男    ・・・[ + 人間] [ + 男性]

おじさん ・・・[ + 人間] [ + 男性]  [?]

おじいさん・・・[ + 人間] [ + 男性]  [?]

男は「人間」と「男性」が意味素性(意味を構成する要素のこと)です。

次は「おじさん」と「おじいさん」の意味素性を考えてみると、[ + 人間] [ + 男性]の2つの要素だけでは不十分です。

となると、年齢を制限するような意味素性が必要かなと考えることができます。

そして、「おじさん」と「おじいさん」とだとさらに年齢が違います。

これらを踏まえて、意味成分を考えてみると、

男    ・・・[ + 人間] [ + 男性]

おじさん ・・・[ + 人間] [ + 男性] [ + 中年] [ − 高年]

おじいさん・・・[ + 人間] [ + 男性] [ − 中年] [ + 高年]

としてみましょう。
すると、勘がいい方なら気付いた人もいるかもしれません。
中年と高年の区別は何歳から何歳なの?という疑問が発生します。
つまりおじいさんとおじさんとの意味の境界があいまいなのです。
成分分析では、『おじいさんみたいなおじさん』と『おじさんみたいなおじいさん』ははっきり区別ができないのです。
成分分析の問題

これが1つ目の問題点である意味の境界が曖昧なことです。

問題点②:成分分析通りにいかないことがある。

「あいつは化け物だ」というように、比喩的に「あいつは男だ」というようなことがあります。

この場合の発言は、女性に対する発言であり、考え方などがが男性的であったり、または気のおけない男友達のように考えているときに言われたりします。

前回の記事でも登場したように、男は [+ 人間] [+ 男性] に分かれます。

女性に対して男だと言っているので、男の意味素性である [ + 男性] がおかしくなってしまいます

そうなると、「あいつは男である」という文は間違いということになってしまいますが、実際は間違いではありません。

これは成分分析通りに行っていませんよね。

他の例でも簡単に考えてみます。歯ブラシについて考えてみましょう。

歯ブラシの意味素性を下のように考えてみます。

歯ブラシ・・・[ + 歯を磨く][ + 棒状のもの] [ + 先端に毛がある]

一見よさそうに思えますが、掃除の際に細い場所をきれいにするために使わなくなった歯ブラシを使うことがありませんか。

そうなってくると、磨くのは歯じゃなくてもいいので、意味素性を [ ± 歯を磨く] としなければなりません。

それでは普通のブラシと意味がどうちがうのかわからなくなってしまいます

今の例を踏まえると、以下のようになります。

歯ブラシ・・・[ ± 歯を磨く]  [ + 棒状のもの]  [ + 先端に毛がある]

ブラシ ・・・[ − 歯を磨く]  [ + 棒状のもの]  [ + 先端に毛がある]

意味を区別するために意味素性に分けたのに、そのとおりにいかないことがあります

これが2つ目の問題点です。

問題点③:意味素性の基準がわからない

「男」を意味素性に分類してくださいと言われれば、

多くの人は [+ 人間] [+ 男性] の2つの意味素性に分けられるかもしれません。

ですが、実際に考えてみると、「本当に要素は2つでいいの?」とか、

「この要素は本当に正しいの?」と考えてしまうことがあります。

私も記事を書くために成分分析をしてみましたが、本当に大丈夫かなと心配に思ってしまいます。

さて、「携帯電話」の意味素性を考えてみましょう。

意味素性はどうなると思いますか。

「電話」「持ち運び」の2つでしょうか。

それとも「SNS」や「ゲーム」という意味素性を含めた人もいるかもしれません。

結果から言うと、意味素性を決めるとき特にルールがありません

つまり、意味素性は何個でなければならないとかこの要素は使ってはならないということが決まっていないということです。

意味素性を決める際の厳格な基準は決まっておらず、要素はあくまで主観的なものになってしまうということです。

これが3つ目の問題点です。

古典的カテゴリー理論の限界とその次の考え方

古典的カテゴリーでは、意味素性に分けることで、共通点を探し出します。

しかし、今回は問題点があることを見ました。

それによって、古典的カテゴリー観はプロトタイプ的なカテゴリー観という考え方に取ってかわります。

次回はそのプロトタイプ的カテゴリー観についてみていきます。

まとめ

〜まとめ〜
<古典的カテゴリー観の問題点>
意味の境界が曖昧で区別ができないことがある
成分分析の通りにいかない言葉の使われ方がある
③意味素性に分ける際の基準がない

おわりに

日本語教師にとって区別がつきにくい語彙や文法項目を比較する際に意味素性に分けて考えると、

非常にわかりやすくなることがあります。

うまく分析ができて違いに納得できるとスッキリします。

しかし、問題点の存在をを忘れてはいけません。

文法項目を比べて違いがわかったぞと思っていても、

実際には言い換えが可能だったり、そもそも意味素性の基準がないことからもその分析も間違えてしまっているかもしれません。

万能な道具というよりは役に立つ道具の1つとして持っておくといいのかなと思います。

今回参考にした本

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この記事を書いた人

日本語講師として日本語学校に勤めています。日本語教育能力検定試験や日本語教育や現場についていろいろアウトプットしていこうと思っています。

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