第一言語習得②〜スキナーとチョムスキーの説〜

今回からは、具体的に第一言語習得の内容についてみていきたいと思います。

第一言語習得について、大まかな流れがあるので、その流れを意識しながら勉強すると理解しやすいと思います。

第一言語習得とは、人はどうやって最初に言語を身につけるのかというお話です。

こうやって言語身につけるんだよという説が登場します。

私はこの説に賛成、反対かなと自分の考えもいっしょに関連させていくと覚えやすいと思います。

もくじ

スキナーの説

まずは第一言語の習得は後天的なものだという説です。

スキナーは、第一言語習得は後天的なものであると考えました。

つまり、生まれた後で話せるようになるということです。

スキナーは行動主義心理学に基づいて後天的なものであると考えました。

行動主義心理学・・・。

どこかで聞いたことがある言葉ですね。

行動主義心理学というのは、刺激→反応→強化で習慣が形成されるというものでした。この理論に基づいてオーディオ・リンガル・メソッドが発展しましたね。関連させておきましょう。

あわせて読みたい
新・教授法④〜オーディオ・リンガル・メソッド〜 オーディオ・リンガル・メソッドは教授法の範囲で一番比重の大きく、わかりにくいことです。整理して理解できるようにしたいところです。

つまり、生まれた後で言葉による刺激を受け、周りの人の反応をもらいます。そして、その反応によって行動を何度も繰り返し強化することによって、第一言語習得がすすむということですね。

ちょっとややこしい感じになってしまったので、具体例でスッキリしましょう。

例えば、親はまだ話せない赤ちゃんに対して、理解できないとわかっていてもたくさん話しかけます。母親は自分を指差しながら「ママだよ〜」などと言ったりします。

もちろん赤ちゃんは「ママ」という言葉の意味などさっぱりわかりません。しかし、毎日母親が「ママだよ〜」と繰り返して言い、赤ちゃんは音の刺激を受け取ります。すると、赤ちゃんは「ママ」と言おうと真似を始めます。赤ちゃんが「ママ」と言えたら、母親はどんな反応をするでしょうか。

めちゃめちゃ喜びますね。めちゃめちゃ褒めてくれますね。

しかも近くに母親がいない時でも、「ママ」と言うことかけつけてきてくれることもあります。赤ちゃんはそんな反応を受け、どんどん「ママ、ママ」と繰り返すようになります。すると、強化につながり徐々に「ママ」という言葉が目の前の母親のことだと習得されるということです。

チョムスキーの説

チョムスキーは先ほどのスキナーの説を批判した人物です。

批判するということは、チョムスキーの説はスキナーとは反対の、第一言語習得は生得的なものであるというものです。

つまり、生まれたときにはもう持っている能力だということです。

先ほどのスキナーのときの例で登場した赤ちゃんも10年もすれば、コミュニケーションで困ることはほとんどなくなります。知らない言葉はあるとしても、知っている言葉であれば複雑な文であろうが自分で作り出すことができます。

スキナーの説だと、刺激・反応・強化が習得につながるという説なので、刺激として受け取ったことがない文だと生み出せない、つまり、聞いたことがある文しか自分では作れないということになるので、おかしいとチョムスキーは考えたわけですね。

聞いたこともない文を作れるのはどうしてかと考えたとき、それはもともと持っていた能力だからだと考えることができますね。

このチョムスキーの説を言語生得説といいます。

この説では、その言語を習得するもともとの能力のことを言語獲得装置(LAD:Language Acquisition Device)といいます。

この言語獲得装置があるおかげで、刺激の貧困、つまり言葉の刺激が不十分だっただとしても、言語を習得できるというわけです。

そして、言語獲得装置とは具体的にどんな能力なのかというと、どの言語にも共通する文法である普遍文法から、習得する言語に合わせて個別文法を作るという能力です。

ちょっとわかりにくいですね。

どういうことかというと、紙粘土みたいなものです。(もっといい例はありそうですが)

紙粘土は最初はやわらかく色々な形を作ることができますが、一度形を作って乾くと、他の形に作り替えることは難しいですよね。

この性質と、言語獲得装置は似ていると思います。

生まれたばかりだと言語獲得装置には日本語だろうが、英語だろうがフランス語だろうがどんな言語も話せるような柔軟性があります(普遍文法)が、一度日本語を習得するモードになってしまったら、日本語モードのまま(個別文法)ということです。

ちょっと補足(領域固有性について)

チョムスキーの理論では、領域固有性の立場をとることを理解しておけば、次回登場するトマセロの説を理解しやすくなると思うので、少し触れておこうと思います。

領域固有性というのは、簡単にいうと、人の認知機能は完全な分業であるということです。

学校で例えると、英語の質問があれば、英語の先生に聞きにいきますよね。英語の質問は数学の先生には聞きにいきませんよね。英語のことは英語の先生の仕事、数学のことは数学の先生の仕事です。

このように担当が決まっているものだと思っておけばいいと思います。専門家、スペシャリストのことですね。

つまり、人の認知機能というのは、言語、計算、記憶、推論などいろいろな能力に分かれているそうですが、チョムスキーの領域固有性の立場というのは、言語習得というものは、いろいろな能力のある認知機能の1つである言語の能力だけをつかって行われていくという立場のことです。

まとめ

<スキナー>
刺激、反応、強化によって、後天的に言語習得が進む
  ↑批判
<チョムスキー>
言語獲得装置によって生得的に言語習得がされる

おわりに

第一言語習得の大きな3つのポイントの2つを見てきました。

みなさんはスキナーとチョムスキーどちらに共感できましたか。

もしかしたら、どちらにも共感できなかったかもしれません。

次の回では、スキナーの説を批判したチョムスキーの説ををさらに批判した説を扱っていきます。


参考にした本

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

日本語講師として日本語学校に勤めています。日本語教育能力検定試験や日本語教育や現場についていろいろアウトプットしていこうと思っています。

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

もくじ